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三木太郎– Taro Miki –

代表取締役 三木 太郎

1971年神戸生まれ。

甲南大学 法学部卒業し、学士の学位を取得。
ソフトウェア開発会社、大手インタネットプロバイダー企業を経て、ウェブマーケティング会社 ワサビ会社を設立しました。


年間約200社以上からのご相談を受け、ウェブサイト制作のディレクションは、現在までに300サイト以上を行いました。

上場会社や官公庁を含め、約50社とウェブコンサルティングの契約を結び、実効を上げています。

Web制作の専門学校での講師をはじめ、兵庫県司法書士会や柔道整復師専門学校での講師を歴任。
講師として、初心者にも分かりやすい講義を心がけています。

本業は、システム開発の設計及びマーケティング支援のディレクターを務めています。
また、行政書士の資格のホルダーでもあり、法務や補助金申請などのサポートをクライアントに行っています。

目次

プロフィール

私の簡単なプロフィール(ご興味のある方は、どうぞご覧ください)

生まれと育ち
東京生まれ、神戸育ち。
幼稚園から大学まで関西の一貫校教育校を卒業しました。
「世界に通用する紳士たれ」という、教育理念であった。



小学校時代
物心ついた時から、須磨の一ノ谷の近くに住んでおり、春夏秋冬、父や祖父と、目の前にある海で釣りを楽しんでおりました。
小学校の高学年に入る頃、パソコン(FM7、PC9800やMSXなど)でゲームを作ったりしてました。
(この頃、カセットテープを使って保存しており、後にフロッピーディスクができて感動した)
また、叔父さんがNECに勤めていたこともあり、家にはパソコン(PC9800)があり、プログラミングを学びました。

中学校時代
中学から、部活は「無線部」でした。(今でも、無線機が好きでよく触っています)
それでも、相変わらず、パソコン好きで、中学時代は、ポケコン(カシオ PB-100)などでゲームを作ったりしていました。父親の会社に置いてあった、PC98でよく遊んでいました。
15歳の夏休みに、自転車で神戸から東京に行ったり、色々な事に興味が出てきました。

15歳の年末に人生で初めて、アルバイトをしました。
神戸のジェームス山にあった巨大迷路で、販売の仕事でした。
時給が確か、550円位だったと思います。ただ、年末年始をはさんだので寸志、1万円、をもらった記憶があります。

高校時代
16歳には原付きの免許を取得して原付きで色々なところへ行っておりました。
とにかく、洋楽にハマり、特にファンクやソウルミュージック、部屋には2万枚以上のレコードがありました。高校3年生、大学の推薦も決まり、大阪の心斎橋のクラブ(スパジオビルB1F)でフリーのDJをしておりました。

大学時代
大学から始めれるスポーツがしたかったので、体育会系のアメリカンフットボール部に入部。
大学3年まで、続けましたが辞めました。学生時代は、DJの知り合いも現役であった事や音楽は好きなので、クラブやライブなど後半は音楽漬けした。
しかし、22歳の誕生日の後に転機がありました。それは、アップル社との出会いでした。
購入した機種は、Macintosh LC 630。
その当時から、PhotoshopやIllustrator(確か、バージョン2)があり、ハマりました。そこから、一気に昔のパソコン熱と少しの無線熱(後にパソコン通信熱、インターネット熱へ変わる)により、三度飯よりもパソコンが好きに。ロゴデザインや自身で撮影してスキャンした画像を加工したり、名刺デザインなどをしておりました。
内定もとれ、ホッとしていたところに震災がありました。この時、インターネットにつなぐにはパソコン通信網経由でした。いわゆる、電子掲示板でものを売ったり、買ったりしておりましたが。震災を機に、デジカメ(カシオ QV10)を購入して、震災の写真をアップするホームページを作りました。
1995年、ウィンドウズ95が出た日、僕は、マックとWindows3.2を使っておりました。

社会人
大学卒業後、神戸の震災の年に神戸メリケンパークオリエンタルホテルに入社。パソコンは、東芝のブレッザを購入しました。電話回線でインターネットにつなぐことが可能になりました。運動は好きで、全日空のプライベートチームに入部してアメフトをしておりました。
3年間勤めた後、神戸の貿易商社(株式会社ISC)に転職。身内の会社であった為、先が見えなくなり、ソフトウェア開発のベンチャー企業(株式会社ユニケソフトウェアリサーチ 子会社)に務めましたが、入社して半年で倒産。
その後、インターネットサービスプロバイダー(株式会社USEN)に入社。入社してから、2年目から東京本社の営業部に所属しておりました。東京勤務をした際に、様々な経営者の方とお話する中で、自分の得意とする、デザインとシステム開発及び、ネットワークやサーバーの知識活かすサービスを提供する、起業を意識しだしました。

そして
2007年(2011年法人化)、神戸で個人事業として起業しました。

今の自分
私は、新卒で入社したホテルから今まで関わった全ての仕事が、新規の立ち上げ事業です。
ビジネスの仕組みづくりや組織作りを、ずっと体験しております。
そのため、マニュアル作りは得意ですが、マニュアル通りに作業することが苦手です。
(例えば、税金の計算や登記業務など。そのため、会計士や司法書士の勉強はあきらめました)

そして、40年以上パソコンを触っており、インターネット創世記の頃からインターネットを利用しており、最終的には、プロバイダーに勤めて降りました。

そういったバックグランドから、起業しましたが、今も現場の第一線で仕事をしておりますし、これからも現場を離れる予定はありません。

最後に
もっと、お話したいことは山ほどありますが、お会いした時によろしければ聞いてください。

資格保持:行政書士、宅建士、管理業務主任者など
ストロングポイント:営業の経験や現場でのノウハウ、マーケティングスキルを活かした提案が得意
趣味:スキー、自転車、カメラ、登山、アマチュア無線

私の基本的な考え方

母方の祖父と父親から、学びました。(釣りをしながら)

三木 重明(雑誌神戸っ子より)

お客様は、お客様のプロ

小手先のテクニックや消費者心理学、脳科学などは、情報が溢れている時代においては、タネがバレバレのマジックの様にあしらわれます。
私は、ストレートな表現で、できるだけシンプルで論理的にわかりやすいサービスを提供する事を心がけています。

スピードこそ最高のサービス

私たちのサービスは、型を作って大量生産するようなサービスではありません。(その場合は、在庫を切らさないことだと思います。)

ですので、24時間365日、できるだけ素早い対応ができるように心がけております。
休日だから、正月だからという考え方や仕事を全くしないオフの日を作るなど、考えられません。
「ゆっくりするのは、死んでからでいい」が、私の口癖です。

「お客様をがっかりさせたくない」
「生涯現役の精神」
上記2つを意識して、日々仕事をしております。

成功の方程式

以前、お客様の一人である鍼灸師の中島さんに教えていただいた、田中真澄さんの言葉です。
普段、人の言葉にあまり共感しない私ですが、めずらしく私が共感した考え方です。

成功するための方程式です。
すごくシンプルですが、私はこの通りだと思いました。

成功の方程式
成功=準備×チャンス

チャンスがあっても、準備不足なら成功する確率は低く、いくら準備をしていてもチャンスが来なければ成功はしないという事と理解しています。

ある程度の余裕がなければ、チャンスを逃してしまう事になります。
(とはいえ、日々の眼の前の仕事に追われていますが、、、。)

日々、努力をして、積極的に物事にチャレンジをしていく事が、成功への近道と思っております。

行動を起こす

「今でしょ」「いつか、いつかと思うなら今」と、言っている人が多くいるように、出来るだけ早く行動を起こすことが大事だと思っています。

ただし、設計図を書かず、いきなり柱を立て、家を建築する様なことはせず、最低限の下準備は必要です。

最低限の下準備をしたら、行動です。
大航海時代のクエストまでとは言いませんが、荒波が来る日もあるし、羅針盤が壊れる可能性もあるのが人生。
その中で、目的を達成する為に参加する仲間が増えたり、応援してくださる人々との出会いがあったり、なんとかなるものです。

失敗を恐れずに、行動を起こす人間が世の中をより良くしていく事に貢献していると思っております。

見切り発車で、よいので、兎に角一度口にしたものは、できるだけ行動に起こす事が大事だと思っています。

夢ばかり、語っていては何も起こりません。
今自分の周りに、一時間後の自分、明日の自分、1週間後の自分、一ヶ月後の自分、半年後の自分、一年後の自分、2年ごの自分、5年後の自分、十年後の自分など、たくさんの未来の自分がいると考えましょう。

その中で一番、若い自分はだれですか。
それは、今の自分です。
「しんどい事」や「やりたい事」を今の自分にやらせれば、いいのでは?という考え方です。

わかりにくい、例えばかりですみません。

セミナー風景
セミナーの講師として、ウェブマーケティングについてはなしました

私にとって仕事とは

私の企業理念は、下記です。

企業家(経営者)だけが、雇用を生みだし、世の中の貧困な人々を救う

アメリカでは、いい大学に行けば行くほど、起業して雇用を増やす事を言われるらしいです。

企業が持続可能なビジネスモデルを構築するには、プロ意識を持った様々なスキルを持った人々が、チームとなり目的に向かって、サービスや商品の開発やマーケティングを行い、タイミングを外さず世の中に広報することが大切だと思っております。

また、起業して、創業開始の試練を乗り越える時に必要な、情熱やパワーには、永続的な企業理念が必要です。

私は、チームとしてやっていくことが苦手で個人プレーが得意と思っておりました。

例えば、学生時代のアメフト部で友達ができなかったり、USENに勤めている時に上司を見下したりしていました。

ところが、社会人でアメフトをしたり、起業してスタッフが増えてきたりすると、チームでなにかをすることが楽しくなってきました。

友人の羽野君が言っていました。
彼は、中学高校時代水泳部でした。
水泳の大会の時は、例えば、クロールの選手が試合に出ている時は、クラブ全員で彼を応援します。
個人プレーだと思われてた、水泳ですが、実はチームプレーという見方もあるとの事。

それらの事を考え思ったことは、自分のチーム作りの理想は映画「プレデター」だと思いました。
チームには、様々なスペシャリストいて、リーダーである「アーノルド・シュワルツェネッガー」からの指示をうけ任務を遂行・完了するシーンです。

リーダーとは

リーダーとは、未体験である事など関係なく、新しいことにチャレンジすることです。

人をまとめるスキルや責任転換しない事は当然に、失敗を恐れず、勝算ありの企画力、先見性、行動力、実行力、あとカリスマなど全てが必要だからです。

常に新しいことをしないリーダーは、名ばかりのリーダーです。

私は、新卒の時から現在まで、新規プロジェクトにしか関わっていませんでした。

新卒の時(開業ホテルのプロジェクト)は、中内 功氏の行動力にリーダーの資質を感じました。
その後は、父の会社(ウェブサイト構築及びIT構築)で一時的に働きましたが、起業家である父のリーダーの資質を感じました。
ベンチャー企業(大阪、四国を中心にレセコンの営業)に転職した時の社長には、リーダーの資質を感じませんでした。結果、借金を残し出資者や債権者に迷惑をかけ半年で倒産しました。
起業まで、結構長く務めたUSEN(光ファイバーを使った、法人向けインターネット通信事業)では、宇野社長のリーダーの資質を感じました。

仕事がら、経営者とお話することも多いです。
情熱的で楽しそうな仕事をしている経営者は、共通して新しい事にどんどんチャレンジします。

私も、いつかリーダーとしての資質を感じられる人間になりたいと努力しております。

幸せとは

私にとって幸せは、

自分らしく、生きていくこと

です。

プライベートも仕事も、やりたいことをして、ストレスに感じる人と付き合いもなく、周りにいる人達の笑顔を毎日見れることが幸せと思います。

私がディレクション実績もしくは、デザインした制作実績

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